ともし火

 雪深い季節になると、その男は薄い影を揺らしながらどこからかふらりとやってきて、「お久し振りです」と、いかにも純潔そうな微笑みを浮かべ、私に挨拶をした。 古い平屋の一軒家は空き家と見紛うほど侘しく、門脇の南天の実だけがともし火のように人目を引いた。 古色を帯びた木枠に薄紙を貼ったような白い磨り硝子の窓。立て付けが悪く、寒風が入ってくる。 黄色く濁った蛍光灯の下、女ひとりだと広く感じる居間も、男ひ…

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 私の部屋の窓からよく見えるところに妹がミニトマトの盛大な生垣を拵えた。ただでさえ西日が差すと白い障子が赤く染まるのに、ミニトマトなどを植えられたら私の目は日がな一日赤色に染まらなければならない。 妹はいつも夕方になると笊いっぱいにミニトマトを取り、私の部屋の窓を叩く。そうして私が窓を開けると、せわしげに「はい、お兄ちゃん、これ」と笊を押し付けてくるのだ。私は渡されるままその笊を受け取る。妹は私…

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とてもつまらない三枚綴り短編集 20

塩素の匂い 「君、塩素の匂いがするね」 駅で電車を待っている間、彼にそう言われた。彼は図書館帰りで、Tシャツとジーパンのラフな格好をしていた。肩に掛けたトートバッグに、借りてきた本が十冊入っているんだそうだ。肩に持ち手が食い込んで、いかにも重そうだった。「プールで泳いできたからだよ」 私はプール帰り。いつもより髪がぱさぱさして、夏風が吹いたって靡かない。針金みたいに固い。今日はプールバッグだけ…

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